オルタナティブスクールに通う子どもの1日のスケジュール

こんにちは、オルタナかあちゃんです。

オルタナティブスクールに通う小1の息子がどんなふうに1日を過ごしているかを書いてみます。

 

6:50 起床

7:00 RISUやる(年中さんから毎日続けてます。ルーティンがあると落ち着くらしい)

7:20 朝の手伝い(お弁当は自分で包む)

7:30 朝食

8:10 身支度

8:15 自由時間

8:30 登校

9:00 スクール開始

14:30 スクール終了

15:00 学童

17:00 帰宅

17:10 おやつ・自由時間

17:30 弟の保育園迎え

18:10 お風呂

18:40 プロジェクタータイム(Youtubeで好きな動画を見る)

19:10 夕飯

19:50 寝る支度

20:20 自由時間

20:30 就寝

 

ルーティンがあると落ち着くようで、年中さんから毎朝RISUで算数の問題を解く時間を作っています。

RISU算数 - お子様1人1人にピッタリの学びを届けるタブレット教材

 

私もフルタイムで仕事をしているので、オルタナティブスクールの後は近くの小学校でやっている学童に通っています。学童では、漫画を読んだり、校庭でサッカーをしたりして自由に過ごしているみたいです。

正直、学童の存在に助けられています(息子が通うスクールにはアフタースクールなど放課後のケアはありません)。

「ギフテッド」という言葉の呪縛

オルタナティブスクールに通う息子は、日本では2%のマイノリティにあたるらしいです(私立小学校が多い首都圏など地域差は多少あると思いますが)。

 

学校基本調査-令和5年度(速報) 結果の概要-:文部科学省

 

そういうことで、お会いする方から、子どもの進路や様子について色々興味を持っていただく機会が多いのです。

それで、なぜ子どもがオルタナティブスクールに通うという選択をしたのか、なぜ親としてその選択を支持したのか、みたいなことを説明するのですけど、そうすると最近は「◯◯くん、ギフテッドやん!」と言われることが増えてきました。

 

「ギフテッド」って知的能力が著しく高い子とか、特定の分野に非常に強い興味・関心を持つ子とか、そういう子どもを表現する言葉として使われている気がする。特に日本では、「特別な子」とか「賢い子」とか、そういう表現。

もともと欧米では、教育経済学的な文脈から、社会資源として、そういった特定の分野に強みをもつ子どもたちを対象とした支援教育を行うことが、社会全体への投資になる、という考え方のもと、ギフテッド教育が普及してきた模様。

 

その言葉自体は使っていないけど、日本でも特定分野に才能がある子を支援していこう〜!という流れになっていて、ギフテッドという言葉が市民権を得てきているよう。

特定分野に特異な才能のある児童生徒への支援の推進事業について:文部科学省

 

それで、たしかに息子は乳幼児期から特定の分野に対しての興味や理解力が高く、発達年齢以上のことを理解したり問題を解いたりしているし、もしかすると「ギフテッド」と分類されるのかもしれないけど、分類されることに全く意味はないって思っている。なので、これまでも(これからもきっと)知能検査とかを子どもに受けさせるつもりは全くない。(本人が、自分のことを知りたいという目的で受けたいと言ったらそれはいいよと言うつもりだけど)

 

私の考えとしては、特定の子どもを「ギフテッド」とラベル付けすることは、(学術的意味や臨床の現場における意味などをのぞいて)私のような一般の母にとって、メリットのあることではないなと。

むしろ、そのようにラベル付けすることによって、「特別にならなければならない」「秀でていなければならない」「普通はだめ」みたいな、優劣とか不要な競争を生んでるんじゃない、今?という気がしている。首都圏では中学受験がものすごい加熱しているし。

この子を伸ばしたい、失敗してほしくない、いい学校に入って将来いい仕事について…みたいな焦りというか、不安というか、そういったものを映し出しているのではと思ったり。(子どものオルタナティブスクールについて話をすると、必ず「進路(進学、受験とか)はどうするの?」とセットで聞かれるんだよね。たしかに、今のスクールは中学がないから、中学校どうするかはいずれ考えないとなのだけど)

 

ちなみに、息子に中学受験をさせる気は全くない。本人がしたいと言えばもちろん応援はするけど。近所の公立の中学校に通うでもいいし、別のフリースクールのような場所で過ごすでもいいし、それはそのときに考えればよい、と思ってる。

 

ギフテッドって、「特別な子」のような、そういうニュアンスを感じるのだけど、全ての子どもが違う個性を持っていて、それぞれが等しく与えられた、授かりし大切な個だと思う。長男と次男でも全く違うし、次男には長男のような特定の分野への強い興味関心は今のところないかなぁって思ってる。

特別でなければならない、何かに秀でていなければならないわけはなく、ありのままのその子の存在そのものが「ギフト」だと感じて、日々子育てをしているかぁちゃんです。

不登校過去最多と東近江市長の「不登校の大半は親の責任」「フリースクールは国家の根幹を崩す」発言について考える。

界隈で話題になっている、東近江市長の「不登校の大半は親の責任」「フリースクールは国家の根幹を崩す」発言について、思うこと。

いやいやいや、自治体の首長さんとか、地方議員さんとか、教育委員会の人とかって、ほんっとに子育てや今の教育の現状を何もわかってないんだなぁって。

フリースクールを卒業した夫と、オルタナティブスクールに通う息子を育てている私としてはもやもや。

 

2023年は不登校の生徒が約30万人と、過去最多だったということだけど。

子育てしている親としては、まぁそりゃそうだよねっていう感じ。コロナをきっかけに、オンライン学習が広がり、学校に通わないことを選択した場合の選択肢が増えてきた(もちろん、まだまだ限られているけど)っていうことだよね。

不登校約30万人 過去最多~誰一人取り残さない支援を NHK解説委員室

 

今の公立小学校って、みんな同じように、読み書きができるように、◯年生でこの単元が終わるように、と一斉に同じことをできるように設計されている。大人もそれぞれ個性があるように、子どもにだって個性があるんだから、それに合わない子だって当然いるよね。学習面だけじゃなくて、人間関係(特に低学年は、担任の先生が全てみたいなところがあるけど、その担任の先生と合わないことだってある)もあるし。

一昔まえだったら、社会全体がそれでも「我慢」して無理やり学校に通うのだ(親が通わせるのだ)という価値観だったと思うけど。それは、社会に出てからも同じで、台風来て交通機関が乱れているのに、頑張って出社するべし、会社にたどり着いたオレ偉い(何時間もかけて出社して、ついた頃にはヘロヘロ、生産性って言葉知ってる…?)みたいな価値観。

その価値観を否定はしないし、もちろん公立小学校が合う子もいる。

けど、学校に合わないかも…となったときに、「無理して通わなくてもよい」という選択肢が尊重されるように世の中がなってきたのはすごく進歩していると思う(少なくとも、25年前に不登校になってフリースクールに通っていた夫の時代よりは)。

 

息子のオルタナティブスクールのクラスメイトにもいろんなタイプの子がいる。

もともと不登校だった子や、登校はしていたけど馴染めていなかった子。

友達とうまくいかなかった子や、学業面で自分のペースで進めたかった子。

ひとくちに「不登校」っていっても、その理由は本当に様々で、彼ら彼女らが毎日を幸せに過ごせるかどうかっていうのが最も大事だと思う。学校に通いたい子、学校以外の場所(オルタナティブスクールとか)が心地いいと感じる子、ホームスクーリングが安心できる子。

それでいいんだと思うし、そうあるべきだと思う。これからもっともっと学びの選択肢は増えていくと思うし、私も我が子の様子を見ながら、彼らと対話しながら、選択していきたいと思う。

 

最後に。

このニュースについて、小1の息子(オルタナティブスクールに通っている)にどう思う?と聞いてみたところ。

 

う〜ん。まぁ、不登校になるのも色々理由があるよね。だからパパとママのせいとかは関係ないよねぇ〜。ちなみに、僕は「もっと勉強を先に進めたい」と思ったから、小学校には行かずにオルタナティブスクールに通ってる。

 

自治体の政策とか決めているようなおじさんより、7歳の子どものほうがよっぽど芯を食ったことを言えてるよねって思った。

 

「不登校の大半は親の責任」“フリースクール”発言に透ける「本音」 学校以外の選択肢をどう整備?【news23】 | TBS NEWS DIG (1ページ)